名寄駅(名寄市)
駅弁のかくだて
名寄駅は宗谷本線、名寄本線(平成元年廃止)、深名線(平成七年廃止)が交わる交通の要衝だった。雪止めがついた大屋根の堂々とした駅舎は、昭和二年に建てられたものだ。
その名寄駅で明治四十三年から駅弁を売っているのが「駅弁のかくだて」。樺太が日本領だったころ、稚内行きの列車は日に何本もあって昼夜を問わず賑わっていた。昭和初期には半てん姿の売り子が八名ほど名寄駅にいた。駅を遊び場にして育った今のご主人角舘征夫さんは、そんな様子を見て来た。
征夫さんが家業に入った昭和四十年代にも、まだ昼間の急行宗谷、天北が上下二本ずつ走っていて、売り子四人で長い車両を分担して売り歩いた。お弁当を満載した四十キログラムもある売り箱は、瞬く間に軽くなった。皆、長い旅路の途中の名寄駅で、かくだての弁当を楽しみにしているのだった。当時の弁当と言えば幕の内か、助六寿司のシンプルなものだったが、のちにかくだての名物となる「きのこごはん」が登場し、寝る暇も無いほど繁盛した。
夜行急行の利尻が名寄駅に着くのが午前二時。マイナス三十度にもなる夜は、炊きあがった弁当を新聞紙に包んで冷えないようにしたけれど、焼酎さえ凍ることがあったという。
列車の気密化で窓が開かない車両が殆どになった。またスピードアップ化もホームでの立ち売りを困難なものにしていった。今では特急列車内で先に申し込むと名寄駅で積み込んでくれる。それでも一番ホームでの対面販売は止めるつもりは無いという。「だってそれが駅弁でしょう」と笑う角舘さん。昔ながらの掛け紙とひもで縛る駅弁が嬉しい一品だ。
白衣がどこか懐かしい

名寄駅は宗谷本線。旭川より北に約90分。かつては宗谷本線、名寄線(平成元年廃止)、深名線(平成七年廃止)の交わる一大ターミナルだった。昭和二年製の駅舎がかろうじて当時の面影を残している。